『大鏡』肝試し 道長の豪胆 後半 の原文
「道隆は右衛門の陣より出でよ。道長は承明門より出でよ。」と、それをさへ分かたせ給たまへば、しかおはしましあへるに、中の関白殿、陣まで念じておはしましたるに、宴の松原のほどに、そのものともなき声どもの聞こゆるに、術なくて帰り給ふ。
粟田殿は、露台の外まで、わななくわななくおはしたるに、
仁寿殿の東面の砌のほどに、軒と等しき人のあるやうに見え給ひければ、ものもおぼえで、「身の候はばこそ、仰せ言も承らめ。」とて、おのおの立ち帰り参り給へれば、御扇をたたきて笑はせ給ふに、入道殿は、いと久しく見えさせ給はぬを、いかがと思し召めすほどにぞ、いとさりげなく、事にもあらずげにて、参らせ給へる。
「いかにいかに。」と問はせ給へば、いとのどやかに、御刀に、削られたるものを取り具して奉らせ給ふに、「こは何ぞ。」と仰せらるれば、「ただにて帰り参りて侍らむは、証候ふまじきにより、高御座の南面の柱のもとを削りて候ふなり。」と、つれなく申し給ふに、いとあさましく思し召さる。
異殿たちの御気色は、いかにもなほ直らで、この殿のかくて参り給へるを、帝よりはじめ感じののしられ給へど、うらやましきにや、またいかなるにか、ものも言はでぞ候ひ給ひける。
なほ疑はしく思し召されければ、つとめて「蔵人して、削り屑をつがはしてみよ。」と仰せ言ありければ、持て行きて押し付けて見たうびけるに、つゆ違はざりけり。
その削り跡は、いとけざやかにて侍めり。
末の世にも、見る人はなほあさましきことにぞ申ししかし。
『大鏡』肝試し 道長の豪胆 後半のあらすじ
『大鏡』肝試し 道長の豪胆 後半 の超現代語訳
粟田殿=道兼
入道殿=道長
帝には花山天皇
<span class="su-quote-cite"><a href="http://juppo.seesaa.net/category/22098060-1.html" target="_blank">高校古文こういう話</a></span>
「子四つ。」
と帝に時刻を申し上げてから、
このようにおっしゃってあれこれしているうちに、
丑の刻にもなったのでしょう。
「道隆は右衛門の陣から出よ。道長は承明門から出よ。」
と、帝が出発の門までもお分けなったので、
「承知いたしました。」
とお出かけなさいました。
中の関白殿は右衛門の陣まではこらえていらっしゃいましたが、
宴の松原あたりで、
怪しいものどもの得体のしれない声が聞こえたらしく、
もうどうしようもなくなってお帰りなさったのです。
粟田殿は、露台の外まで、
ぶるぶる震えていらっしゃいましたが、
仁寿殿の東面の敷石の辺りに、
軒の高さくらいの人がいるように見えなさったので、
前後不覚となって、
「命あってのものだねですから。」
などと言い訳を言って、
結局、お二方ともお帰りなさったのです。
この様子に帝は御扇をたたいてお笑いなさいました。
でも、入道殿が長い間お帰りなさらないことを、
どうしたことかとお思いなさっていらっしゃると、
入道殿が、大変さりげなく、
何ということもない様子でお帰りなさったのでございます。
「おおこれはこれは」
と帝が道中の様子などお尋ねになられると、
大変落ち着いて、
御刀と、それに何か削り取られたものを添えてご献上なさるので、
帝が
「これは何か。」
とおっしゃいました。
すると、入道殿は「手ぶらで帰って参りましたら、
行った証がございませんから、
「大極殿の高御座の南面の柱の下の方を削って持って参ったのでございます。」
と、平然と申し上げなさるのです。
帝はあきれるばかりでいらっしゃいました。
他のお二方、
中の関白殿と粟田殿のご気分は、
戻ってらっしゃってからは、
どうしてもそのまま良くならなくて、
入道殿がこのように帰って参りなさったのを、
帝をはじめとして感心して大騒ぎなさったけれど、
お二方は、うらやましいのか一言もおっしゃらないで控えておいでです。
帝はそれでもやはり入道殿の行動を疑わしいとお思いなさったのでしょうか、
次の日の朝に
「蔵人に削り屑を入道が削ったという元の柱にあててみよ。」
とご命令なさいました。
蔵人が持って行って元の位置に押し付けてみたところ、
ぴったりはまったのでございます。
その削り跡は、目にはっきりと見えるようです。
その傷を見る人は後々まで、
やはり驚きあきれるなあと申しておられますよ。