『紫式部日記』に書かれた中宮様のご気性
『紫式部日記』からは、宮中に出仕するようになってからの紫式部の成長を読み取ることができます。
初めての出仕で心折れた紫式部は、それから約半年もの間、自宅に引きこもってしまいます。その後、また出仕しても、当初は引っ込み試合で奥に引っ込んでするべき仕事をしなかったり、勝手がわからず同僚女房と一緒にいじめに加担してしまったりと、失敗もありました。
けれども、持前の聡明さで物事を見つめていくうち、女房として成長し、他の女房にも「女房はこうあるべき」と物申すことができるまでに成長していきます。そして、彰子中宮からの信頼を得ることにも成功するのです。
紫式部が精魂こめてお仕えする彰子中宮。
その中宮のご気性について語っている段があります。
というのです。
と思っていらっしゃるから。
彰子中宮が、なぜそのように思われるようになってしまったというと、
幼い頃のご経験がずっとその後の彰子中宮のご気性を形づくっていったのだというのです。彰子中宮は、聡明な方だったのだろうと推察できますね。
中宮彰子のサロン 中宮定子のサロンへの対抗心>
なぜ紫式部が、このような彰子中宮のご気性を持ち出してきたのか。彼女が言いたかったことはなにか。
2つのことが考えられます。
そのうちのひとつが、中宮定子のサロンへのライバル心。
紫式部が宮仕えを始めたとき、すでに中宮定子はこの世を去っていました。
中宮定子が運営していたサロンはひと昔前のサロンでした。
そして、清少納言が『枕草子』で得意げに語っているように、
機知にとんだ応酬が、女房と訪ねてくる殿方との間で交わされる文化の香り高い魅力的なサロンであったとされていました。紫式部は、
「ほんとうのことかどうか、私が自分で見たわけではないからわかりませんが・・。」
というように言っていますが、人々の心の中には、古き良き時代をしのぶような明るく生き生きとしたサロンとして偲ばれていたのです。
いっぽう、彰子中宮のご気性から、彰子中宮のサロンは、そういった点ではぱっとしない、つまならいと噂されているのも漏れ聞こえてくる。
定子中宮のサロンのほうは、すでにひと昔前のことであるだけに、
「昔は良かった。」
と伝説になっているところがあります。
その悔しさから、紫式部は彰子中宮の美点をあげ、今のサロンが真面目でおもしろみがないことへの言い訳を述べているところがあります。紫式部の必死な思いが伝わってくるようです。
女房のあり方を指導したい紫式部の思い
紫式部がこの談で述べたかったもうひとつのこと。
それは、女房としてのあり方についてです。
どうやら女房というのは、華やかであこがれるいっぽうで、深層の姫君は絶対に女房などにはならない、あばずれとまでは言えませんが、女房として出仕することは、少々すれっからしにならざるを得ないという風潮があったようです。
真の姫君なら出仕などしない。
する必要もないからです。
けれども、経済的に困ってくると、家柄はすばらしいのに出仕しなければならないということが起きてくる。あの由緒ある姫君がお気の毒に・・・。という記述なども、『源氏物語』の中にも見られます。
あまりに身分の低い人では女房は務まりません。
それなりの教養が必要だからです。
けれども、経済的に困窮していなければ出仕する必要もありません。
女房として仕えているということは、そういうこと。
お姫様としていられるうちは、几帳の陰で人前に顔をさらすなどあり得ないことでしたが、女房として出仕したからには、意を決して人前に出て仕事をこなさなければならないのです。
そのことをはしたないと考える人たちも多くいます。
すでに出仕してお仕事があるのに、恥ずかしがって出てこない。
それでは、大切なお仕事がまわりません。
重要事項の伝達に来た殿方の応対さえもしないのでは、なんのためにお仕えしているのかわかりませんね。お仕事がまったくはかどらないというわけです。
お仕事とは、例えば
「今度、中宮様もご出席される行事がございますので、
その際の日時もろもろについてご相談したい」
などの要件であったりします。
女房として成長した紫式部は、
と述べているのです。
そして、最初の頃は自分も奥に引っ込んで隠れていたこともあったけれど、それから女房としての成長をかさね、今では中宮様のご信頼を勝ち得るようになったのだと述べています。
実際の原文と超現代語訳を下記に挙げてみます。
『紫式部日記』中宮のご気性
げに、物の折など、なかなかなることし出でたる。おくれたるには劣りたるわざなりかし。ことに深き用意なき人の、所につけてわれは顔なるが、なきひがひがしきことども、物の折に言ひ出だしたりけるを、まだいと幼きほどにおはしまして、「世になうかたはなり」聞こしめしおぼしたる御けしきに、うち鬼めいたる人のむすめどもは、みないとようかなひ聞こえさせたるほどに、かくならひにけるとぞ心得て侍る。
「女房たちにも何かを言い出したりはするまい。」
「もし、言い出したところで、安心して、こちらが恥をかかないような安心できる仕事をしてくれる人は世の中にほとんどいないのだから。」
と、お思いになることが習慣になってしまっておいでなのです。
確かに、何かの場面で、とんでもないことをしでかすのは、何もしないでいるよりも困ったことですから。
格別にしっかりとわきまえてもいない人で、わが物顔にふるまっている人が、なんだかおかしなことなどを、大切な場面で言い出したりする様子を、中宮様がまだたいそう幼くていらっしゃる頃にそのような場面をご覧になったらしいのです。
紫式部は、他人の批評もしていますね。
紫式部の心の底には、彰子中宮さまこそ一番すばらしい。
彰子中宮様を盛り立てたい、という思いがあったのでしょうか。
こちら以外にも、批判した段があります。
また次の機会にご紹介してまいりたいと思います。