『源氏物語』御法 紫の上の死 その1 の原文
秋待ちつけて、世の中すこし涼しくなりては、御心地もいささかさはやぐやうなれど、なほともすれば、かことがまし。さるは、身にしむばかり思さるべき秋風ならねど、露けき折がちにて過ぐしたまふ。
中宮は、参りたまひなむとするを、今しばしは御覧ぜよとも、聞こえまほしう思せども、さかしきやうにもあり、内裏の御使の隙なきもわづらはしければ、さも聞こえたまはぬに、あなたにもえ渡りたまはねば、宮ぞ渡りたまひける。
かたはらいたけれど、げに見たてまつらぬもかひなしとて、こなたに御しつらひをことにせさせたまふ。「こよなう痩せ細りたまへれど、かくてこそ、あてになまめかしきことの限りなさもまさりてめでたかりけれ」と、来し方あまり匂ひ多く、あざあざとおはせし盛りは、なかなかこの世の花の薫りにもよそへられたまひしを、限りもなくらうたげにをかしげなる御さまにて、いとかりそめに世を思ひたまへるけしき、似るものなく心苦しく、すずろにもの悲し。
『源氏物語』御法 紫の上の死 その1 のあらすじ
『源氏物語』御法 紫の上の死 その1 の超現代語訳
待っていた秋になって、
京の蒸し暑い夏の気候が少しよくなってからというものは、
紫の上のご気分は、
少しは落ち着く様子ではありますけれども、
それでも恨みがましいことをおっしゃることもございます。
とは申しましても、
身にしみるほどお考えなさるような秋風ではございませんが、
まるで秋の露が降りるように涙にくれてお過ごしなさいました。
娘の明石中宮は継母の自分を置いて、
宮中に参内なさろうとするので、
紫の上は、
「今しばらくはここに逗留くださいませ」
と申し上げたく思われるのですが、
余計なことを申し上げてもよくないと我慢なさるのでございます。
帝から明石の中宮の参内を促すお使いが
ひっきりなしに来るのも心苦しいので、
そのように申しあげならさないのです。
それでも、紫の上が明石の中宮のところへお渡りになるのはおできになられませんので、
中宮が紫の上のところへお渡りになられました。
紫の上は、病の身ゆえの恥ずかしさも勝りましたが、
まったくお会い申し上げないのも寂しいと思われて、
ご自分のお屋敷に特別に明石の中宮のお席をご用意なさったのでございます。

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紫の上はこの上なくお痩せ細りになられていらっしゃるけれども、
このようにこそ、高貴で優美な様子はお変わりなく、
大変お美しい限りでございました。
今までもあまりにもつややかでお美しく、
人目をひくご様子でいらっしゃった頃には、
かえってこの世の花の美しさに例えられなさったけれども、
今はこの上もなくかわいらしく美しいご様子でございます。
ただ、この世をかりそめとお思いになっている様子は、
並ぶものがないほど気の毒で、
言いようもなくもの悲しいのでございます。