その1では、藤原兼家の陰謀にはまり、道兼の手引きによって、誤って2年間で退位することにした花山天皇。いよいよ出家の儀式のために、6月22日の夜、ひっそりと内裏を出た後、ためらいの気持ちがでてくる。
『大鏡』花山院の出家の原文冒頭
「しばし。」とて、取りに入りおはしましけるほどぞかし、
粟田殿の、「いかにかくは思し召しならせおはしましぬるぞ。ただ今過ぎば、おのづから障りも出でまうで来なむ。」と、そら泣きし給ひけるは。
さて、土御門より東ざまに率て出だし参らせ給ふに、晴明が家の前を渡らせ給へば、自らの声にて、手をおびたたしくはたはたと打ちて
帝おりさせ給ふと見ゆる天変てありつるが、すでになりにけりと見ゆるかな。参りて奏せむ。車に装束疾うせよ。」と言ふ声聞かせ給ひけむ、さりともあはれには思し召しけむかし。

『大鏡』花山院の出家の超現代語訳
藤壺の扉を出て歩き出される時に、花山天皇はお思い出されたのです。
既に亡くなった弘徽殿の女御のお手紙で、ずっと破り捨てないで、肌身離さずご覧になっていらっしゃったのがあったことを。
と、お取りにお戻りになられた時のことですよ、
粟田殿がおっしゃるんです。
と嘘泣きまでなさったのです。
まったくどんな神経なのでしょうね。
さて、この後、
粟田殿が、帝を土御門大路から東の方にお連れ出し申し上げなさっている時に、安倍の晴明のお宅の前をご通過なさっていると、晴明ご自身の声で、手をぱちぱちと何度も叩いておっしゃる声が聞こえるのです。
「帝がご出家なさると兆候の天の異変があったのだが、今、すでに終わったと見受けられる。これは大変なことだ。内裏に参上して、奏上しなければならない。直ぐに車と着物を準備せい。」
この声を帝もお聞きになられたことでしょう。帝はたとえご出家のご覚悟が出来ていらっしゃったとは言え、どんなにかお辛くお思いになられたことでしょうか。
「とりあえず式神一人内裏に参上せよぇ。」と晴明が申しましたところ、
我々の目には見えない何者かが、扉を押し開けて、帝の後ろ姿を拝見したのでしょうか。
「たった今、帝はこの前をお通りなさっていらっしゃるような気配です。」と返事したということです。
晴明の家は土御門大路と町口小路の交差するあたりですから、ちょうど帝が花山寺に行かれる通り道であったのです。
花山寺にご到着なさって、いよいよ帝がご剃髪なさった後もちょうど後に、粟田殿は急にこんなことを言うのです。
と。
粟田殿は帝と一緒に出家すると言っていたのになのです。
帝はおっしゃいました。
そしてお泣きになられました。
なんともおいたわしく悲しいことでございます。
今まで、粟田殿は
などと。
帝を騙(だま)し申し上げるなどは言語同断、恐ろしい人ございます。
一方で、東三条兼家大臣は、もしかして、粟田殿が本当に出家しなさるかもしれないと心配なさって、今回の花山天皇のご出家当日には、こういったことにも対応できる思慮分別に富んだ人々で、なんとかいう源氏の武士たちをこそお付きにさせられたのでございます。
武士たちは京都の街中では隠れていて、鴨川の堤防辺りから姿を現してご警護したそうです。
その後の寺に入ってからは、ひょっとして誰かが無理に粟田殿を出家させなさるといけないと心配されて、一尺ほどの刀を抜きかけてお守り申し上げたそうですよ。