『蜻蛉日記』鷹を放つ 現代語訳 藤原道綱母 おもしろい よくわかる 古文


『蜻蛉日記』鷹を放つ の原文冒頭

つくづくと思ひ続くることは、なほいかで心と疾く死にもしにしがなと思ふよりほかのこともなきを、ただこの一人ある人を思ふにぞ、いと悲しき。

人となして、後ろやすからむ妻などに預けてこそ、死にも心やすからむとは思ひしか、いかなる心地してさすらへむずらむと思ふに、なほいと死に難し。

蜻蛉日記(2(下巻))新版 (角川文庫 角川ソフィア文庫) [ 藤原道綱母 ]

『蜻蛉日記』鷹を放つ のあらすじ

これは私が36歳くらいの時の話。
39歳まで書いたから筆を置く三年前かしらね。

 

この頃は兼家も全然来てくれなくなってしまって、
もう死んじゃおうかなって時期。
最愛の息子は16歳。その頃の話。

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『蜻蛉日記』鷹を放つ のおもしろい現代語訳

つくづく考えることは、やっぱり何とかして自分の意志で死んでしまいたいわってことなの。

他のことはどうでもいい。
もう死んでしまいたいわ。
兼家に捨てられたも同然で、
それが辛くてね。

だけど、かわいい一人息子のことを思ったら悲しくなって仕方ないわ。

道綱を一人前の男にして、
安心して任せられる奥さんに預けてから
やっと死んでも本望だけど、
いま16歳のあの子を残して死んだりしたら、
あの子はどんな心細くって
何を頼りに生きていくのかしら、
って考えたらやっぱりしんでも死に切れないわ。

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道綱の母
どうしたらいいのかしら。
いっそ尼になってこの世の中のことを
すっかり忘れられるか試してみようかしら
ってあの子に話したらね、

あの子まだ大人の気持ちなんてわからないはずなのに、ひどく泣きじゃくって

道綱
お母様が尼様になられるのでしたら、私も出家してしまいとうございます。お母様がいらっしゃらない俗世には私は何のご縁もございません
って言って

もうそれはわんわん泣くから、
私も堪え切れなくないのだけれど、
あまりに真剣に言うものだから
これはふざけて誤魔化してしまおうって

道綱の母
あなたが法師になってしまったら鷹が飼えなくなってしまうわ。どうなさるの?
と言ったのね。

ちょっと
そしたらあの子、
静かに立って駆け出して行ってね、
大事に繋いである鷹を掴んで、空に放ってしまったのよ。

もうなんて子。。。

見てる侍女たちも涙堪えられなかったわ。
まして私はもう一日中ただただ悲しくて。

心の中に浮かぶことを歌にしたのよ。

争へば思ひにわぶる天雲にまづそる鷹ぞ悲しかりける
私達夫婦は争ってばかりよね。
辛いから私尼になってしまおうかと思ってたら、
母様が尼におなりになるのなら、
自分も法師になるんだって、
道綱は鷹を放したのよ。

その鷹が飛び去るのを見ていたら息子のことがいじらしく
て自分のことが情けなくて悲しかったわ」

と詠んだのよ。

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