『大鏡』南院の競べ弓 現代語訳 古文 おもしろい

『大鏡』南院の競べ弓 の原文冒頭

帥殿の、南の院にて人々集めて弓あそばししに、この殿わたらせ給へれば、思ひかけずあやしと、中関白殿おぼし驚きて、いみじう饗応し申させ給うて、

下﨟におはしませど、前に立て奉りて、まづ射させたてまつらせたまひけるに、帥殿の矢数、いま二つ劣りたまひぬ。

中関白殿、また御前にさぶらふ人々も、「いま二度延べさせたまへ。」と申して、延べさせたまひけるを、やすからずおぼしなりて、「さらば、延べさせたまへ。」と仰せられて、

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『大鏡』南院の競べ弓 人物関係など大事な周辺知識

まずは訳に入る前にこの話の人物関係を話しておかないとな。

なんせこの頃世の中を牛耳っているのは藤原一族じゃ。
苗字がみんな藤原だし、
名前の一文字を「道」にすることが多くてなぁ、
わかりにくいのじゃ。

下の系図をみておくれ。


<span class="su-quote-cite"><a href="http://juppo.seesaa.net/article/387748068.html" target="_blank">高校古文こういう話</a></span>

この南院の競べ弓のときは道隆が中の関白で一番上の位
しかも、自分の娘「定子」を一条天皇の中宮にしているので、
飛ぶ鳥落とす勢いじゃ。

でもこの頃自身の身体の心配もあって、
糖尿を患っておったのでな、
早く伊周に代替わりしたいと考えておったのだが、
伊周はどこまでいってもお坊っちゃん育ち 。
気弱な性格。
道隆の心配も尽きないのだったぞ。

この時は伊周は道長より位が上だったが、
この後父関白君が亡くなってから、
政権争いに負けて、
大宰権帥に左遷させられるのじゃ。

これは、道長の勢いがそれほど凄まじかったという証のような話じゃな。

『大鏡』南院の競べ弓 の超現代語訳

ある日、伊周公が南院で、
人々を集めて弓の競射をなさった時の話じゃ。

南院というのはお父上の道隆公のお屋敷の中にあるんじゃわ。

伊周と道長は甥と伯父の関係じゃよ。
道隆公はこの時関白じゃから、関白と呼んどくぞ。

その競射の会にな、
道長公がお越しになったので、
みんな驚いたが、
特に関白殿は驚かれてな、

「あぁ思いがけない事じゃ、何か裏があるのではないか」
とおっしゃって、
たいそうなおもてなしを差し上げたのじゃ。

関白殿にとっては、道長公は弟、
気遣いも当然のことじゃろう。
それに当時から道長公には周囲を威圧する何かを持っておったんじゃな。

関白殿は弓を射る順番にもお気を使われて、
道長のが身分は下にも関わらず、
先にさせなさられたのじゃ。

結果は

伊周が今二つ負けなさったのよ。

関白の手前もあるし、
主催者が負けるのもバツが悪いことなんじゃ。

だから、関白殿も、その御前に控える皆さんも

「もう二回延長なさいませ。」
と申しあげたが、道長公は心穏やかには思われないわいな、

それでも、

「そう言うのならば、延長戦をなさいませ」
とおっしゃられてなぁ。

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<span class="su-quote-cite"><a href="http://juppo.seesaa.net/article/387748069.html?seesaa_related=related_article" target="_blank">高校古文こういう話</a></span>
再度射なさるその時に、
的を前にしておっしゃったんだよ。
願掛けじゃ。そのお言葉がすごいのじゃ。

「将来、道長の家より帝や后がきっと立ちなさるのならば、この矢よ当たれ。」

なんとも大きなことをおっしゃるではないか。

そしたら、
なんということか同じ当たると言っても素晴らしい、
中心を射抜いたのじゃよ。

次に、伊周公が射なさるが、
たいそう怖気付いてしまわれて、
お手が震えたためだろうかなぁ、
的の近くをかすめもしなかったなじゃよ

とんちんかんな方向を射なさったので、
見ておられた関白殿は真っ青になられたんじゃ。

また、次に道長公が射なさる番になると、
今度はこうおっしゃったのじゃ。

「私が将来、摂政や関白になる運命ならばこの矢よ!当たれ!」

すると、はじめと同じように、
的が壊れるほどに、射通されてしまったのじゃ。

関白が道長公をおもてなし申し上げなさったのも興ざめで、
気まずくなってしまったんじゃ。

次は伊周公の番だが、
関白殿は慌てふためいて、

「伊周よ、なんで射るのだ、射るな射るな
」と止めなさって一同興醒めしてしまったんじゃ。

そこで道長公は矢をやなぐいに戻して、
堂々とそのまま後退出なさっんじゃ。

その頃の道長公は左京大夫とおっしゃられて、
弓をたいそう上手に射られなさったわいの。
弓がお好きじゃったわな。

道長公がすぐに摂政や関白になることはなかったけれども、
周囲の者はこの事があって、
道長公に気遅れするようになったわな。

それにしても、道長公の運の強さ、気の強さじゃ。
この後、実際に帥殿をしのいで、どんどんお力をお付けなさるのであった。

『大鏡』とは

平安時代後期に書かれた作者不詳の歴史物語

いわゆる文学史で学ぶ「四鏡」のうちのひとつ。
四鏡の中では最初に書かれたもので、後の三鏡は大鏡の書き方紀伝体で綴られています。

<四鏡の覚え方>
だい こん みず まし
大鏡・今鏡・水鏡・増鏡

と覚えます。

藤原一族の栄華、とくに藤原道長の繁栄について綴られています。
176年にもわたる宮廷の歴史を読み取ることができます。

<競べ弓の流れを簡単に理解する>
まだ藤原道長が関白になる前の物語。

①南院で藤原伊周(道長の甥)が弓遊びをしている

道長が現れ、的当て勝負をすることに

③道長は僅差で勝利

④伊周の父である関白・藤原道隆が延長戦を申し出る
(「道長よ、伊周に勝ちを譲れ」という意味)
       
⑤道長はおもしろくないが,関白の頼みとあっては断れない

⑥延長戦は二本勝負

⑦道長はなんと
「私の子孫が天皇や后になるなら,この矢よ当たれ」
「私が関白になるなら,この矢よ当たれ」
と言いながら,二本の矢を命中させる
(道隆の跡継ぎ=伊周への挑戦)

⑧道長の行為に伊周は真っ青になる

⑨慌てた道隆が「これ以上射るな,射るな」と必死に止めたので、
その場は白けてしまった

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