![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2019/11/814306-150x150.jpg)
『更級日記』 乳母の死 の原文冒頭
『更級日記』 乳母の死 のあらすじ
上京三ヶ月後に乳母やあこがれの姫様の死を経験し心塞ぐ様子。
『更級日記』 乳母の死 の超現代語訳
その春は、世の中に疫病が大流行してたいへんだったの。
なつかしい私の大切な乳母も疫病で亡くなってしまったのよ。
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2020/02/812540-150x150.jpg)
私が東国の上総の国にいた時に、
松里の渡りにいた乳母の姿が思い出されるわ。
あなたは、月の光に美しく照らされていたわね。
幼いころから私をいつくしんでくれたあなただったのに。
あれが最後の別れになってしまったのね。
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2020/02/812540-150x150.jpg)
3月1日に亡くなったそうよ。
私はあまりに悲しくて、どうしようもなくって、
大好きな物語を読みたい、
とさえ思わなくなってしまったわ。
毎日、毎日泣いてばかり。
ある時、ふと、外を見たら、桜の花が散り乱れていたの。
もう、枝にはわずかしか残っていないほどに散ってしまった桜の花びら。
それが、夕日のとっても華やかな光の中で舞っていたのよ。
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2017/10/a4900fbf5cf935d36a814b1f59f3d283_s.jpg)
私は感極まってしまって、思わず歌を詠んだわ。
来年の春もきっと美しい姿を見せてくれるのでしょう。
それなのに、あのまま別れた乳母とはもう会えないなんて。
なんて恋しくて悲しいの。
しかもね、お噂によれば、侍従の大納言の姫君までおなくなりになったそうなの。
姫君は中将殿とご結婚なさっていたのよ。
そのご主人の中将殿が、それはそれはお嘆きになっていらっしゃるとか。
悲しい気持ちは私も同じ。
親しい人を亡くした悲しみはつきない、たまらないわね。
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2020/02/812540-150x150.jpg)
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2020/02/812540-150x150.jpg)
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2017/10/570793-300x231.jpg)
亡くなった姫君は素敵な方で、私にはたいせつな思い出があるの。
私が都に来たばかりのころに、お父様が、
お父様が「三蹟」のひとりの藤原行成さまですもの。
姫様の筆跡も、それはすばらしいのよ。
![](https://www.chokochan.com/wp-content/uploads/2020/02/812540-150x150.jpg)
「さよふけてねざめざりせば」という
拾遺集の歌なんかが書かれていたの。
書いてくださった歌の中には、こんな歌もあったわ。
はかなく見えた私が亡くなったのだと知ってほしいのです。
それがまた、ほんとうに美しい文字なのよ。
風情もあるわ。
ご自分の命のはかなさをご存知だったかのような歌よね。
その筆跡を見ていたら、悲しくて悲しくて、
私の涙はあふれて止まらなくなってしまったわ。
『更級日記』に書かれた人の死
『更級日記』は、夫の死をきっかけにして、
自分の少女時代を思い返して書いたとされています。
また、この時代、疫病で命を落とす人は多くいました。
なにしろ、病気の一番の治療法が加持祈祷だったという時代です。
あらがえない死に直面するたびに、
彼女もつらい思いをしていたはずです。
薄幸だった藤原行成の娘
作者の父・菅原孝標は、蔵人として、上司の藤原行成のもとで働いていたことがありました。
そのご縁なのでしょうか。
藤原行成の娘が書いた書を手に入れて、娘に手本とするようにと渡しています。
能書家の藤原行成の娘ですから、さぞ達筆であったと考えられます。
この時代は、上手な人の文字を見て文字の練習をしたのですね。
ですから、達筆な姫の書を手に入れられたというのは、
とても貴重な意味のあることなのです。
お手本として頂いた書の中に、『拾遺集』の哀悼歌(人の死を悲しんで詠んだ歌)がありました。
ところで、行成の娘は薄幸の人でした。
12歳で藤原道長の13歳の息子「中将殿」と結婚しますが、16歳で亡くなってしまいます。夫の中将殿の悲しみは、とても大きいものでした。
お手本として頂いた歌の内容が、まるでご自分の近い将来を暗示していたようだと、藤原孝標の娘は、ますます涙をそそられてしまったのです。
参考サイト ↓