藤原道綱母と兼家の終わりのとき 引っ越しで疎遠に


他の妻への嫉妬にいらいらしながら、
夫への愛を確かめ続けた藤原道綱母でしたが、
いよいよこれ以上は無理という時がきてしまいます。

ふたりが結婚してから19年ほど過ぎた頃でした。

藤原道綱母の引っ越し

当時は男性が女性の家に通ってくる通い婚でしたね。
兼家も、藤原道綱母の家に通ってきていました。
藤原道綱母のおうちは都の中心部にあったので、兼家が通ってくるのにも不便はありませんでした。

けれど、兼家の足が遠のくようになり、援助も十分ではなくなってくると、おうちもしだいに荒れてきました。そこで、藤原道綱母の父親が引っ越しを決めます。引っ越し先は、都から離れた不便な場所でした。

広瀬中川という都の北東の辺鄙な所です。
ただでさえ、兼家の足が遠のきがちになっていたのに、
通う場所が都から離れていては、ますます疎遠になりそうです。

転居することも兼家に伝えましたが、その返事はそっけないもの。

「ちょうど物忌みで行くことはできないんだ。」
ということで、お別れにも来てくれません。

藤原道綱母はあきらめて、兼家に最後の別れをすることもなく引っ越すしかありませんでした。

ところが、それからしばらくして兼家から

「どうして引っ越しの連絡をしなかったのか。」
という手紙が届きます。

あれほど何度も連絡していたのに、どうしてこんな行き違いがおこってしまったのでしょうね。

そこで藤原道綱母は、お手紙を返します。

「あなた様には、何度もお知らせしたはずですが・・・。
でも、こんな遠くなってしまっては、
あなた様がいらっしゃるのも無理かもしれませんね。」

すると、以前ならどんな遠くでもあなたへの思いは届くはず、
天竺へでも、という熱い返事があったでしょうに、
ここに至って悲しいお返事があるだけでした。

「そうだね。ずいぶん不便な所のようだから・・・。」

そして、ふたりの仲は完全に終わってしまいました。

年明けに月をながめて悲しむ藤原道綱母

年が明けて、転居した寂しい家から外を眺めていると、美しい月が見えました。山々がかすんでぼんやりした背景に見える月は、冴えわたるような美しさで風情があります。藤原道綱母は、柱に寄りかかって歌を詠みます。あふれる涙はこらえようがありません。

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もろ声に 鳴くべきものを 鶯は 正月(むつき)ともまだ 知らずやあるらむ

昨年8月に引っ越してから、兼家からの音沙汰はまったく途絶えてしまいました。兼家からの便りを鶯の声に例えて、悲しみにひたる藤原道綱母でした。

まとめ

若く美しく才たけた藤原道綱母をみそめて妻にした兼家。
けれども、最後はひどい扱いですね。

こうしたことは、おそらく日常的に貴族の間にあっただろうと推察されます。

それだからこそ、いっそう、光源氏の行いはすばらしいと称賛されるのでしょう。
光源氏は、一度でも縁を持った女性を最後までしっかり面倒をみるという点で称えられています。

平安の世の女性の生きざまもそれぞれです。
女性一人ひとりの生き方を追ってみるのも意義深いものがありそうです。

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