『蜻蛉日記』隣家の火のこと 平安時代の火事

日本の家屋は木と紙でできていますから、
昔から火事はとても怖いものでした。

「火事と喧嘩は江戸の華」
と言われたように、江戸時代も火事はたいへん恐れられていました。
八百屋お七の火付けによって大火事を出した話なども有名です。

ところで、さらに昔の平安時代にも火事はたいへん怖いものでした。

蜻蛉日記にみる「隣の火のこと」

蜻蛉日記には、作者藤原道綱母の隣家が火事になったときのことが書かれています。
(本文は記事の最後に載せています)

18日に清水寺にお参りする人に、またひそかに同行したの。
初夜の勤行が終わってお寺を出ると、
時刻は子の刻ごろ、今の午前0時ごろ、真夜中ね。一緒に行った人のおうちでお食事をしていたら、従者たちが
「火事だ、火事だ、外に出てみよう」
と騒いでいるじゃない。
「唐土(もろこし)だよ。」
と言っているの。唐土って、遠くっていう意味ね。方角は西北。我が家のある方向よ。
遠いと言っても、どのくらい遠いのか心配していると、また知らせが入ってきたの。
「火事は長官殿の家です。」
というの。びっくりしたわ。
私の家はその隣なのよ。
お隣とは、ただ土塀で隔てているだけ。
たいへん!
おうちには、道綱もいるし、幼い養女もいるの。

慌てて車に乗って帰ったの。生きた心地もしなかったわ。
慌てすぎて、車の御簾をかける暇もなかったほどよ。

我が家までは4~5キロはあったから、
牛車が到着するまで気が気がではなくて・・・。

やっと車が我が家に着いてみたら、火事はすっかりおさまっていてほっとしたわ。
我が家は焼けずに残っていたの。あぁよかった。

とるものもとりあえず、大急ぎで帰宅した道綱母でしたが、
母の留守中の隣の火事に対して、
まだ年若い息子の道綱は、実にしっかりとした対応をとってくれていました。

お隣の長官殿の方たちは、焼け出されてこちらに集まってきたりしているようよ。

この火事の場面で息子の道綱は、しっかり我が家を守ってくれたわ。

娘は裸足で逃げ回っているのでは、と心配したけれども、
車に乗せて避難させ、さらに門をしっかり閉じてくれたおかげで、お屋敷もお屋敷の人たちも無事だったわ。

息子は若いのに、よく男として我が家を守ってくれたものだわ。
ほんとうによくできた息子だこと。

火事そのものの他に怖いのは火事場泥棒

道綱は、屋敷の門をしっかり閉めて家を守ったのです。
なぜ門を閉めたかというと、隣家の類焼を防ぐためではありません。

火事場泥棒が入り込まないように、
火事場での混乱によって屋敷の中で問題が起きてしまわないように、
との配慮からです。

このとき道綱は若干18歳。
他に男手もない中、母も不在の緊急時に、よくぞ采配をふるってくれたと、
道綱母は感無量となります。

この時代、付け火も多かったようです。
強盗を目的とした放火です。
怖いことですね。

ですから、火事の際にしっかり門扉を閉じた道綱の判断は、
たいへんすばらしいものだったことがわかります。

夜型の生活が招いた火事の増加

奈良時代の政治は、早朝から勤務が始まっていたのに対し、
平安時代になると、かなりの夜型の生活に移行していました。

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夜型ですので、火をたかなければならなくなります。
電気はありませんから、灯火や松明(たいまつ)で灯りを取らなければなりません。

そのことが、平安時代に火事が頻繁に起こるようになった1因だと言われています。

平安時代の消化法「撲滅」

また、この時代の消化法は水をかけるのではなく、
たたいて火を消す「撲滅」
という手法であったと言われています。

濡らした布でたたいて火を消すのですが、
これは初期消火にしかできない方法。
初期消火に失敗して燃え上がってしまうと、
なす術がなかったようです。

いかに火事が恐ろしいものだったか想像にかたくないところです。

火事になってもお見舞いにこない兼家

こうした優秀な息子は誇らしく頼りになりますが・・・。

いっぽう夫の兼家は、このようなたいへんなことがあったにもかかわらずまったく顔も見せず、道綱母の不満が募ります。

道綱母と兼家の関係性、また記事をあらためてみてみたいと思います。

『蜻蛉日記』隣の火のこと 本文

十八日に、清水へまうづる人に、又しのびてまじりたり。初夜(そや)はててまかづれば、時は子(ね)許(ばかり)なり。もろともなる人のところにかへりて、ものなどものするほどに、あるものども
「この乾のかたに火なん見ゆるを、いでてみよ」
などいふなれば、
「もろこしぞ」
などいふなり。ここちには、なほくるしきわたりなどおもふほどに、人々
「かうの殿なりけり」
といふに、いとあさましういみじ。わが家も築土(ついひぢ)許へだてたれば、さわがしう、わかき人をもまどはしやしつらん、いかでわたらんとまどふにしも、車のすだれはかけられけるものかは。からうじてのりて来(こ)しほどに、みなはてにけり。わが方はのこり、あなたの人もこなたにつどひたり。ここには大夫ありければ、いかに、土にや走らすらんとおもひつる人も車にのせ、門つようなどものしたりければ、らうがはしきこともなかりけり。あはれ、をのことてようおこなひたりけるよと、見きくもかなし。わたりたる人々は、ただ
「いのちのみわづかなり」
となげくまに、火しめりはててしばしあれど、とふべき人はおとづれもせず、さしもあるまじきところどころよりもとひつくして、このわたりならんやのうたがひにて、いそぎみえし世よもありしものを、ましてもなりはてにけるあさましさかな、
「さなん」
とかたるべき人は、さすがに雑色や侍やとききおよびけるかぎりはかたりつとききつるを、あさましあさましとおもふほどにぞ、門たたく。人みて
「おはします」
といふにぞ、すこし心おちゐておぼゆる。さて
「ここにありつるをのこどもの来(き)て告げつるになん、おどろきつる。あさましう来(こ)ざりけるがいとほしきこと」
などあるほどに、と許になりぬれば、とりもなきぬときくきく寝にければ、ことしも心ちよげならんやうに朝寝(あさい)になりにけり。今もとふ人あまたののしれば、せてふにてもしたり。
「さわがしうぞなりまさらん」
とていそがれぬ。しばしありてをとこの着るべきものどもなど、かずあまたあり。
「とりあへたるにしたがひてなん。かみにまづ」
とぞありける。
「かくあつまりたる人にものせよ」
とていそぎけるは、いとにはかに檜皮(ひはだ)のこき色にてしたり。いとあやしければ見ざりき。もの問ひなどすれば、
「三人許やまひごと、口舌(くぜち)」
などいひたり。
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